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方位取りの効果


方位の取り方に関しては『方位の取り方』にて概説していますが、実際に方位取りを行うと、どのような効果が現れるのかについて少しお話しておきます。


吉方位の方位効果


方位を取ることによって顕現する方位効果は、基本的に取った方位に回座する九星の象意に依存することになります。
しかし、九星は年盤・月盤・日盤・刻盤それぞれに存在していますし、それら4つの次元の方位盤が自身にもたらす影響の度合いに一切の優劣はありません。
方位を取るということは、年・月・日・刻、全ての次元における方位盤の方位を取ることであり、例えば、年盤において六白の回座する方位を吉方位に利用したからといって、その方位の月盤が四緑、日盤が一白、刻盤が五黄などといった現象は日常的に発生しているため、六白の方位効果が単純に顕現するとはいえません。

では方位取りによって実際に取った方位とその効果については、何ら関係がないのかと言うと決してそうは考えません。真気九星学では、さまざまな次元の方位効果が相互に作用し合った結果として、大自然の成長発展及びその働きを示す文王後天図、すなわち『後天定位盤』の方位効果・作用に帰結すると考えます。

つまり、方位を取ることによって顕現する方位効果は、後天定位盤における九星の象意に依存するということになります。
したがって、九星の象意に基づく特定の方位効果をねらって吉方位を取りたいと考える場合には後天定位盤上の九星の方位配当を基準に方位を決定すればよいということになります。


さらに細かい話をすると、方位効果には生気や退気といった関係も絡んでくることとなりますが、真気九星学における生気・退気は天の気・地の気・人の気、年盤・月盤・日盤・刻盤それぞれが複合的に作用した結果として総合判断的に導き出されることとなります。
さらに、人の気(九星)においては本命・月命・日命・刻命それぞれが方位に対して生気・退気の関係性を有しているため、単純に一つの方位を生気方と表現することはほぼ不可能ですし、生気方の方位を取るといった単純な吉方位解釈がなじむ哲理をそもそも有していません。

一般的な方位術では生気方と退気方に吉凶の優劣をつけ、生気方位を取ることを推奨しているものが多いようですが、そもそもどうやって年・月・日・刻および本命・月命・日命・刻命すべての相関関係から生気方を判定しているのか、その根拠すら定かではありません。
もし仮に、端的に「生気方」をとることができたとして、自分に開運が訪れることのみを大吉とするような自己中心的な思想哲理で、一体どうやって人々を幸福へと導くのかははなはだ疑問ですし、古代東洋の思想哲理を忠実に占術に反映しようとすれば、そのような哲理自体が生じません。

真気九星学における生気方・退気方の方位取りを考える場合には、どちらかというと生気方・どちらかというと退気方といった認識で行うことになります。しかし、この場合、一方位あたりに及ぼす九星の影響力よりも、天の気や地の気による影響力のほうが大きいため、基本的には天の気や地の気が生気方となるような方位を選ぶこととなるでしょう。しかし、年盤・月盤・日盤さらには刻盤にいたる、全ての次元について考慮する必要があるため、極めて高度な方位取りが要求されることとなります。

したがって、真気九星学における方位取りでは、一般に、「生気方」「退気方」などと、各方位を単純に区別することはできず、吉方位を取ればおのずから「生気」も存在し、同時に「退気」も存在するということになります。自分の幸せを願うということは周囲の人々の幸せをも同時に願うことに他なりません。

これらを踏まえた上で以下の象意を参考に積極的に吉方位を活かしてください。

一白水星 坎(水) 中男 休息する 潤す、月、弓、車輪、心病、低い
二黒土星 坤(地) 養う 柔、平等、正方形、布、釜
三碧木星 震(雷) 長男 生みだす 鼓動、花、慌ただしい、勢い
四緑木星 巽(風) 長女 整う 曲げたわめる、吹き散らす、高い
六白金星 乾(天) 戦う 剛、君主、円、氷、玉、金(金属)
七赤金星 兌(沢) 少女 悦ぶ 実り、収穫、巫女、話す、金(お金)
八白土星 艮(山) 少男 成し遂げる 終焉、始まり、木の実、指、門
九紫火星 離(火) 中女 示現する 乾かす、明らか、太陽、電気


凶方位の方位効果


凶方位の方位効果とはすなわち、吉方位の反作用を示します。したがって、改めて解説を施すようなものでもありませんが、最も注意しなくてはならないのは、凶方位を犯すということは、自らの「気」を剋するということに他ならず、その最終的な帰結は『孤独』、『病』、『苦』、『寂』、『死』などといった不幸な結末であるということです。

このページをご覧のみなさんのほとんどは、大自然や生命のもつ「気」の存在を実感していらっしゃる方だと思います。したがって、以下の記述は、科学を過度に信奉し、「気」の存在を無視し続けるとどうなるのか、という視点で客観的にお読みいただければと思います。


現代の日本人は「気」の存在およびそこから生まれる信頼関係を軽視しすぎるが故に、多くの方々が不幸へと向かっていってしまっています。

日本には、無神論を美徳とし、何でも科学で証明できなければ気が済まない方も多数いらっしゃるようです。「気」の存在を一蹴し、建前だけの倫理観に基づいて行動しているように見せかけようが、それは一向に構いません。

しかし、科学が発達したはずの現在において、警察が認知している件数だけで毎年3万人以上が自殺している(参考)というのは厳然たる事実ですし、合計特殊出生率が1.3前後(参考)であり、日本人そのものが猛烈な勢いで破滅への道をひた走っているのも厳然たる事実です。(およそ2.08が人口再生産には必要とされていますので、もはや破滅は時間の問題とすらいえるかもしれません。)
うつや神経症などの精神的な病に苦しむ人々が激増(参考)しているのも事実ですし、未婚率(参考)・離婚率(参考)がともに激増しているのも事実です。幼児虐待(参考)、独居老人(参考)、孤独死(法的定義が不明なため明確な統計が存在せず)が大きな社会問題となっているのも厳然たる事実です。

皮肉なことに、現代において精神的な病に苦しめられている人々の側の多くが、実は心が非常に豊かで、繊細な感覚の持ち主であり、本来人類の繁栄にとって必要とされるべき人々であるという現実が悲しくて仕方ありません。


これら全てが「気」の影響だなどと言うつもりは毛頭ありませんが、社会全体が自己中心主義に傾倒し、物質的金銭的欲望のみを追求することによって、大自然や生命のもつ「気」という根源的な存在に、素直に耳を傾ける精神を失ってしまったことが大きな一因であることは紛れもない事実でしょう。

恋愛感情や人間関係、運気にまで科学を持ち込もうとすることに何の意味もありませんし、そもそも不可能です。科学には科学の領域があり、思想哲学には思想哲学の領域というものが存在します。

科学信奉者は、自身が、科学的な理由もわからず人を好きになるという、厳然たる事実についてどのように説明を施すのでしょうか?

科学信奉者は、お正月に初詣には行かないのでしょうし、節分に豆まきもしないのでしょう。七夕の日に短冊に願いも書かないのでしょうし、クリスマスも恋人と一緒に過ごさないのでしょう。
お子さんの七五三のお祝いもしてあげないでしょうし、ひな祭りも、こどもの日も、お祝いをしてあげることはないのでしょう。お坊さんをお葬式に呼ぶことにも大反対なさるのでしょうし、お墓参りなどもってのほかなのでしょう。

そんな心の貧しい人々に幸福や繁栄が訪れることなど決してありません。とだけ断言しておきます。