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生気・退気・死気・殺気


五行相生
相生とは、五気がそれぞれ他の気を生み出していく関係を言います。

五行相剋
相剋とは、五気がそれぞれ他の気を剋していく関係を言います。

五行比和
比和とは、同気があつまり、ますます盛んになる関係をいいます。


- 五行相生 -

- 五行相剋 -
     

五行には上記のような相生、相剋、比和の関係があることは別項にて言及しましたが、「木生火、火生土、土生金、金生水、水生木」の五行相生関係および「木剋土、土剋水、水剋火、火剋金、金剋木」の五行相剋関係について、「木と火」「木と土」といった具合に、とりわけ二気の関係性に着目してそれぞれの気を表現する概念として『生気・退気・死気・殺気』というものがあります。


生気(相生) 相手から生み出される関係にある気
 (せいき) (自が他から生み出される関係にある気)
退気(相生) 相手を生み出す関係にある気
 (たいき) (自が他を生み出す関係にある気)
死気(相剋) 相手から剋される関係にある気
 (しき) (自が他から剋される関係にある気)
殺気(相剋) 相手を剋す関係にある気
 (さっき) (自が他を剋す関係にある気)


よく、「木」は「火」を生み出してくれるから『生(みだす)気』で、「火」は「木」からエネルギーをもらい、「木」を退かせるから『退(かせる)気』なんだ。といった説明も見受けられます。なるほど。
では「木剋土」の相剋関係について同じように解釈を試みましょう。「木」は「土」を殺してしまうから『死(なせる)気』で、「土」は「木」によって殺されてしまうから『殺(される)気』なんだ・・・。
殺されてしまう側が「殺気」・・・。一般的な感覚であれば、普通『殺気』を有しているのは殺す側だとは思いませんか?
また、「(相手を)死なせる気」は普通に「殺す気」=「殺気」と素直に表現すればいいのではないでしょうか?
いずれにせよ、上の説明を図示すると以下のようになります。

木:「生気」
(相手を生み出す気)
火:「退気」
(相手を退かせる気)
木:「死気」
(相手を死なせる気)
土:「殺気」
(相手に殺される気)

例えば「木生火」における「木」と「火」の関係を、二者の関係性からそのまま表現すれば、「木(相手を生み出す気)⇒火(相手から生み出される気)」となります。
五行の関係性を鑑みれば、少なくとも木によって生み出されている火を「退気」と表現する気にはなれないのではないでしょうか。
「木(退気)⇒火(生気)」と考え、木は火を生み出すことによって、自身のエネルギーを消耗し、退く一方で、火は木から受けるエネルギーによって育まれ一層生長する。などと解釈するのが自然ではないかと思われます。

また、「木剋土」における「木」と「土」の関係であれば「木(相手を剋す気)⇒土(相手に剋される気)」となります。「死気」と「殺気」という言葉を両者のいずれかに当てはめるとすれば、剋す側は殺すのであって死にませんし、剋される側は死ぬのであって、殺しませんから「木(殺気)⇒土(死気)」と解釈するのが自然でしょう。

現代においても「殺気」という言葉はしばしば用いられます。ミステリードラマなどでも頻繁に用いられていますが、殺気を有しているのは普通、剋(殺)そうとする側ですよね。剋(殺)される側が殺気立っていたら、ある意味、そこがミステリーです。

これらの解釈に共通することは、言葉本来の持つ意味を無視して、強引に他動詞的解釈を施している点です。何となく意味が通じるものもありますが、基本的に「相手に」「相手を」という但し書きを挿入しなければ成立し得ない解釈です。

生気(生まれる気)、退気(退く気)、死気(死ぬ気)、殺気(殺す気)と素直に解釈すればいいだけであるにもかかわらず、なぜかヘンテコな解釈を施した挙句、五行の関係性や、一般的な言語感覚から自然に想起されるイメージとは間逆の概念を導いています。一体何故こんな不自然な解釈をわざわざ導く必要があるのでしょうか?

これは方位術における『生気方』という吉方位概念の解釈を主な起点として発生した大きな誤解であると思われます。


生気方


「生気方」とは、自身を『生気』へと導く方位(吉方位)を言います。
生気・退気・死気・殺気というのは、なにも九星に限らず、五行が配当されている十干や十二支においても当然に用いられる概念であり、むしろ九星よりもはるかに早い段階で方位術に取り入れられていました。

十干、十二支はあらかじめ固定的に一方位が配当されている概念であり、九星のように変動的な方位概念ではありません。子(ね)は常に「北」の方位を意味しますし、午(うま)は常に「南」の方位を意味します。
したがって、自身の生年月日の干支から五行の相生・相剋関係に基づく方位吉凶を考えようとすると、それらの方位吉凶は現在の日付の干支が何であろうと固定的なものとなります。
例えば『子(水気)』年生まれの人にとっては、『卯』などの木気あるいは金気の関係にある固定的な方位が常に吉方位となることになります。生年月日も干支の方位配当も固定的ですので当然といえば当然です。

占術においては、干支が何らかの形で各方位に対して非固定的な方位吉凶を形成すると考えていましたが、干支に関しては生年月日による自身の生まれ干支をもとに日々変化する方位吉凶を考えることはできません。このことから、生年月日ではなく、日々刻々と変化する日時の干支が方位吉凶を形成すると考えるようになりました。

話をわかりやすくするため、以下、干支を五行によって区分したものをまとめて表現することにします。(例:水気の干支、木気の干支)

具体的に、年の十二支は、自身(年の十二支)を基準として各方位に対して吉凶を形成すると考えました。例えば、年の干支が水気であった場合、水気の干支は前記したように、五行の相生関係から、木気あるいは金気の方位を吉へと導くことになります。逆に火気、土気の方位は凶へ導かれることとなります。

ここで注意すべきは、吉凶が導かれているのは『方位』であって、各個人ではないということです。年の干支が吉の方位を導き、その方位を人々がとることによって開運が訪れると考えることになります。方位と個人との間に吉凶関係は考えていないことがわかると思います。つまり、万人にとって共通の方位吉凶です。

このとき、これらの関係に、生気・退気・死気・殺気を考えると、水気の干支に対して「生気」の関係にある五行は、「水生木」の関係から木気の干支という事になりますから、木気の干支が配当されている方位をそのまま『生気方』と表現したのです。
このとき年の干支と方位の干支との関係は「水(退気)⇒木(生気)」であり、生気の方位と、人々が取るべき方位である『生気方』との関係は極めて明確です。


一方『九星』は、それぞれに一方位が固定的に配当されている干支とは異なり、方位陣形を形成する変動的な概念をも包含する方位概念です。
九星は干支のように特定の一方位を示す概念でないが故に、九星と方位との間に単純に吉凶を考えることができません。例えば、今年は一白中宮の年だからといって、どの方位が吉でどの方位が凶かということを、(定位盤でも持ち出してこない限り、)五行の関係から単純に導くことはできません。

そこで方位の吉凶を判断する際に、干支では実現することができなかった、自身の生年月日に基づく九星(命星)を導入することにしたのです。干支においては、固定された概念はいやおうなく方位でしたが、九星においては、自身そのものをあらわす命星(日時)を固定しました。
(九星の哲理を別にすれば、定位盤により方位を固定することも一応は可能です。もっとも、そんなことをすれば九星は遁甲する意味を持ちませんので、選択肢にすらなりません。)

ただし、これによって『生気方』という吉方位の概念が干支のように単純ではなくなることになりました。
例えば自身の本命が一白(水気)であったとすると、水気に対しては木気が生気となりますが、木気である三碧や四緑の方位を取ろうと考えると、結果として自分がその方位を生み出す関係になってしまうようにみえます。

九星では自分自身をあらわす命星を吉凶の概念に導入したため、自分がその方位を実際に取ろうとすると、結果として方位と自分との間に「自分(退気)⇒方位(生気)」の関係が発生してしまいます。干支においては、方位と各個人との間に方位吉凶は考えていませんでしたので、このような問題は発生しません。

ただし、この問題は、自分自身を生み出してくれる関係となる、退気の方位をとることによって「方位(退気)⇒自分(生気)」として解決することができますので、九星においては、生気方として『退気』の方位をとることになるわけです。

要するに干支においては、「日時の干支が方位の吉凶を導き、方位と個人との間に吉凶を考えない」のに対し、九星の場合は、「日時の九星が方位を形成し、形成された方位が各個人に対して方位吉凶を導く」と考えるのです。


上記のような吉方位導出にあたっての思想背景を誤解あるいは考慮しなかった占術家が『干支』における生気方同様に、『九星』における生気方を考えてしまったが故に、「生気と退気」「死気と殺気」の概念がそれぞれ逆転し、この誤った解釈が出版物等を通じて急速に広まってしまい、これら四つの概念が相性から方位まで吉凶の優劣を考える概念として現在でも幅広く重用されているため、不自然な解釈を強引に成立させてまで、誤解を解消することのないまま、現在に至ってしまっているというのが実状かと思われます。

今では、生気・退気・死気・殺気の説明にすら触れない指南本や、あやまった解釈を施した挙句に「生気と退気」に対応する「死気と殺気」の関係を堂々と間違えている指南本などであふれてしまっています。
ただ、明治中期に刊行された雑書系出版物において、すでにこの誤解が顕現しているため、想像以上に根は深いようです。

気学などを学習された方のほとんどは、「生気・退気・死気・殺気」のヘンテコ解釈が理解できなかったのではないでしょうか。無理もありません。まともに解釈したら五行が逆回転してしまいます。


『真気九星学』では、「生気・退気・死気・殺気」の関係性をあくまで五行に基づく「二者の関係性」から自然に解釈します。
例えば「土」と「金」との関係においては「土生金」の相生関係が成立しますから「土(金を生み出す気)⇒金(土によって生まれる気)」であり、「土(退気)⇒金(生気)」と解釈します。
「土」と「水」との関係においては「土剋水」の相剋関係が成立しますから「土(水を剋する気)⇒水(土によって剋される気)」であり、「土=殺気」「水=死気」と解釈します。

なお、ここでは特に言及しませんでしたが、比和の関係にある気、例えば「木」と「木」の関係においては、双方の「木」をそれぞれ「和気 - わき」と表現します。